第六話

【翔斗】「いや、俺は競争の厳しい会社はつらそうだから、やめとくよ」

どこに就職しても競争はある。
しかし、今野の会社は特に厳しそうなので敬遠した。
あちこち就職活動をしたが、結局、落ち着いた先は、陽介のいる会社だった。

【陽介】「ま、うちは体力的にはきついけど、雰囲気は悪くないから、
恵まれてるほうかもしれないね」

そして、陽介はちょっとぶすっとした顔になった。

【陽介】「でも、高卒の俺のところにわざわざ大卒で入ってくるなんて、俺への嫌味?」

【翔斗】「まあな」

【陽介】「肯定するのかよっ!」

四年先輩にあたる陽介に仕事を教えてもらいながら、
俺はその会社に、少しずつなじんでいった。

そんなある日。

【社長】「難波君。キミ、県外にあるウチの親会社のほうに移ってくれないかな?
今、こっちの地域の状況に詳しい若い人を欲しがってるんだよ」

【翔斗】「は、はい。でも、俺より経験の長い陽介のほうがもっと詳しいですけど…?」

【社長】「北島君ではウチの会社の体面が…いや、その、彼はぜひともウチで続けてほしい人物で…」

【翔斗】「はあ、陽介はウチになくてはならぬ人材なので、親会社には見せたくないんですね…」

【社長】「そ、そうだ…親会社の機嫌を損ねるわけにはいかないので、彼は秘密兵器なんだよ、はは…」

こうして俺は隣県の親会社に移った。
給料もそこそこ上がるそうなので、不満はない。
ところがそこには、思いがけない人が勤めていたのだ。

【??】「あれっ? あなた、翔斗くんじゃない? やっぱりそうだ、翔ちゃんだ!」

【翔斗】「ええっ、翔ちゃんって…あ、あの、先輩は…?」

【葉月】「分からないのも無理ないね、十年以上会ってないし。私よ、早田葉月!」

【翔斗】「えええーっ、は、葉月さんって…!」

早田葉月。
弥生のいとこのお姉さんで、俺は小さいころ何度か弥生の家で会ったことがある。
何をかくそう、俺はその当時は弥生よりも葉月さんに憧れていた。
やさしいお姉さんで、俺をかわいがってくれたからだ。
しかし…。

【翔斗】「あの…葉月さんは、かなり前に結婚して、遠くに行ったと聞いてましたが…」

【葉月】「うーん…。そうだったんだけどね…」

葉月さんは、俺の通っていた大学で事務員をしていたらしい。
俺がそれに気づかなかったのは、俺が入学して半年くらいで、葉月さんは結婚して退職したからだ。
そして、相手の男の地元のほうに転居して行った。
ところが…。

【葉月】「その相手がね…うちのお父さんの知り合いの息子さんでね。
いい人そうだったんだけど、結婚する前と後とでは大違い。
お酒を飲んだら別人になっちゃっうタイプで、暴力がひどくて…
それで、娘を連れて実家に逃げ帰っちゃった」

【翔斗】「そうだったんですか。大変でしたね…」

【葉月】「今でも大変だけどね…。
私、まだ二歳の娘がいて、保育園は待機だしフルタイムで働けないから、
パート勤務だし、親からの援助でぎりぎりやってるって感じ。
でも、家に帰って殴られないだけでも、前よりずっと幸せだよー…」

ともあれ、移ってきたばかりの会社に古い知り合いがいたのは、心強いかぎりだ。
俺は困ったことがあると葉月さんに相談した。
おかげで、こっちの会社にも早くなじむことができた。

俺はときどき葉月さんのアパートにお邪魔するようになった。
葉月さんの娘の睦月ちゃんも、俺によくなついてくれた。


そんなあるとき、弥生が葉月さんのアパートに遊びにきた。
弥生が、就職先の会社の重役の息子と結婚が決まったそうなので、その報告だった。

【弥生】「難波君、久しぶりだねっ。葉月お姉ちゃんの会社では、うまくやってる?」

【翔斗】「ああ、葉月さんのおかげで、どうにか…。
おまえも、重役の息子なんて、すごい相手と結婚することになったな」

【弥生】「え、まあ…でも、中学のときの友達のお兄さんだからね。
私の中学校はけっこうお嬢様学校だったから、いいところの子が多かったのよ」

弥生の中学時代の友人といえば、俺は今野くらいしか知らない。
今野の家が経済的に苦しかったので、お嬢様学校というイメージは持たなかったが、
今野は特待生で授業料が免除されていただけだった。

【葉月】「弥生ちゃんには、私みたいな苦労はさせたくないな。
でも、弥生ちゃんは、相手の人とも中学生のころから顔見知りだから、そんな失敗はないわね」

【弥生】「うん。お酒に酔ってもやさしいから大丈夫だよ。すぐに寝ちゃうタイプだけどね」

弥生は照れくさそうにしながら、睦月ちゃんをあやしている。
睦月ちゃんは、弥生の膝と葉月さんの膝、俺の膝を行ったり来たりしていた。

【弥生】「あはは。難波君、まるで睦月ちゃんのパパみたいで、似合ってるよ。
いっそのこと、ほんとにパパになったら?」

【翔斗】「え、…そりゃ、睦月ちゃんは可愛いけどな…」

【葉月】「弥生ちゃん、失礼なこと言っちゃだめだよ。
翔ちゃんはまだこれからいい人をみつけるのに、
私みたいな年上の子持ちバツイチをすすめちゃねえ」

【翔斗】「葉月さん…そんな言い方しないでくださいよ…」

俺は、葉月さんの言葉が悲しくなって、思っていることを言った。

【翔斗】「葉月さんはすごくいい人だし、魅力的ですよ。
ただ相手の男が悪かっただけじゃないですか。睦月ちゃんも、いい子だし…。
俺、睦月ちゃんのパパになるのも、葉月さんと一緒になるのも、少しも嫌じゃありません!」

【葉月】「………それは、この子にも父親がいたほうが、と思うけれど…。
それを翔ちゃんにお願いするのは…」

【弥生】「でも、難波君、小学校の二年生のころ、私と喧嘩したときに言ったよね…。
『弥生なんかより葉月おねえちゃんを俺の嫁にしてやる』って…」

【翔斗】「ぬわっ! 俺そんなダイレクトなこと言ったのかっ?」

【弥生】「私はちゃんと覚えてるよー。責任とりましょうね!」

【翔斗】「責任ったって、小学二年生のころの冗談じゃないか…。まあ、本心だったけど…」


そして。

俺は今、幼稚園の入園式に参列している。

【先生】「難波睦月さん!」

【睦月】「はーい!!」

…と、こういうわけだ。

【翔斗】「…結局俺は、弥生にあんなこと言ってなかった。
小さいころ俺は、弥生と一度も喧嘩していない。
でも、あまりに当時の俺の本心だったから事実と思ってしまった…」

【葉月】「あはは…。弥生ちゃんに引っかけられちゃったね。残念でした」

【翔斗】「いや、残念じゃないよ…」

俺はこれから、娘の睦月の成長を見守らないといけない。
血はつながっていなくても、睦月は俺の娘だ。
葉月と睦月を、俺が守る。
俺は身が引き締まる思いで、そして、幸せだった。



Ending No.12 葉月結婚END

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